セールスパーソン

 

経営者により深く寄り添うために独立

株式会社 モンク

代表取締役  村田 智

 

27歳のとき外資系生保の営業パーソンに転職。前職は輸入車のディーラーで、平均単価600万円の車を月に13台売ったこともある優績者だった。富裕層中心のベースマーケットからの保険契約を期待したが、反応は鈍かった。たまたま引き継いだ不在籍契約の中から法人成りの案件が出たのをきっかけに法人契約が増えていく。GHTのブームで優績倶楽部との接点ができ、研修を通して財務の重要性を学ぶ。入社して7年、中小企業の経営者に寄り添うには保険だけでは不十分だと悟り、独立すべきか悩んだ。金沢市で経営コンサルトを営む村田智さんの起業にまつわるショートストーリー。

 

死亡保険金は最終手段にならず

 

「オヤジが自ら命を断った」。突然の悲報は友人からのものだった。遺書には「自分でしたことには自分で責任を取る」としたためてあった。友人が専務、父親が社長をしていたその会社は、蓋を開ければ借金を抱え瀕死の状態だった。死亡保険金を残債に充当すれば再起できると思ったのだろう。

「経営の根幹はオヤジしか知らなかったんだ」と動揺している友人を支えながら、まずは保険証券の確認だ。そこで衝撃の事実と向き合うことになる。

「たしかに遺言どおり保険金は借入金相当額だったのですが、うち1件が失効していたのです。理由は、たった2回の保険料振替不能でした」

友人も悔やんだが、村田さんも保険のプロとして後悔した。直接、自分が契約したものでなく、他社の取り扱いだったと、自分自身に言い訳をしても意味はなかった。

「友人の保険を契約したとき、なぜ父親の保険証券ぐらい見せてもらわなかったのか」

もし、そのとき契約が失効していることを指摘できれば、命を担保にする意味がないことを悟り、自死を思いとどまったかもしれない。会社の命と代表者としての社長の命は繋がっているのだ、と改めて思い知らされた。

「保険にさえ加入していれば経営者や会社を守れるのか。法人マーケットにより深く関わろうとすれば、保険だけでは解決できないものがあると確信しました」

社長の死を受けて、当時の顧問税理士は事業を清算すべきだと主張したが、それは表面的な数字から導いたあまりにも短絡的なものだった。清算してしまえば、自宅兼用の社屋に住む年老いた母親(社長夫人)と息子である専務は立ち退かなければならない。

そもそも事業を継続しながら債務は返済できないのか。村田さんの伝で新たな税理士を交え事業計画を建て直すことになった。「継続可能」との結論を得て、金融機関に残債のリスケジュールの交渉に臨んだ。

友人の会社は持ち直し、再生を果たしたが、このときの経験が村田さんにとって転機となった。外資系生保に勤めて7年。保険の営業パーソンからの独立を考えている時機とも重なった。

 

 ●コンテストに入賞

そして、もう一つ独立を決意させる出来事が起きた。

現在、村田さんがオフィスを構える「ITビジネスプラザ武蔵」は金沢市経済局が運営し、ベンチャー企業を発掘・育成する拠点にもなっており、事業の一環として「クリエイティブベンチャーコンテスト金沢」を開催。そこで村田さんが財務をクラウド上で管理するサービスを発表し、見事に審査委員特別賞を受賞したのだ。

「この段階ではあくまでアイデアなのですが、ベースとなったのは優績倶楽部の研修会で学んだ財務でした。勉強の手応えを感じました」

授賞式のとき、審査委員や周りの人から「いつ独立するの」と背中を押され、経営コンサルタントとしての看板を掲げた。

 

「財務革命」を学び実践で活かす

 

最初に顧問先になったのは、創業数年の工芸品の製造・販売会社だった。「売り上げはあるのに運転資金が枯渇した理由を調べてほしい」という相談だった。調べていくと原因はすぐにつかめた。過剰ともいえる在庫が資金繰りを圧迫していたのだ。「在庫管理はしていますか?」と尋ねると、社長はきょとんとした顔をしてみせた。「それまで在庫を意識したことがなかったので、倉庫に山のようにあるものまで作っていたのです」。

初めての仕事だとは思えない対応は「棚橋先生の『財務革命』をそのまま踏襲し、アドバイスできたからです。倉庫のラックには、本から借用した棚卸しの表をほぼそのまま使わせていただき、在庫管理を始めました」

経営コンサルタントの棚橋隆司氏は、優績倶楽部のメンバーにとっては身近な存在である。主宰者である井上得四郎氏が財務の薫陶を受け、その理論の普及に努めているからだ。少し前に入会している会員はご本人が講師を務めた「棚橋財務理論実践講座」にも参加している。この場を通して、中小企業経営のあり方を学ぶとともに、経営者の気持ちに寄り添う術を体得した人も多い。

外資系の生保会社で営業パーソンだった村田さんも、そうした一人で、優績倶楽部が主要都市で開催した棚橋氏のセミナーを追いかけるように参加している。

 

●保険は信頼の報酬

とにかく資金繰りを改善するために、手始めに在庫の数とそれを上代で販売したときの売上高を示した。「これをどう売るのか。商品そのものはメジャーな雑誌にも紹介されるほどのクオリティーがありましたので、売り込み方・売り込み先を考えていきました。そこは輸入車や保険の販売を通して培ってきた経験がものをいう部分でもありました」

工芸品は日用品ではないので、地元の人はそうそう買わない。ここが目の付けどころで、観光地に期間限定のポップアップショップを作ったりしていった。販路を確保することで、在庫も徐々に減り、資金繰りも改善していった。

「最終的には生命保険の契約にも結びつきましたが、起業して日も浅く保険料の負担も考慮し、お勧めしたのは保険期間10年の定期保険でした」

一保険営業パーソンとして、この社長と出会っていたとしても、同様の契約は取れたかもしれないが、財務の建て直しから入ったことで、より適正な保険金額を提案できたうえに、「ここまでよくやってくれました」という信頼の報酬として契約をいただいた意味は大きかった。

開業して2年、保険経営コンサルタントとしてのフィーは保険専業の時代を超えるまでには至っていないというが、顧客は確実に増えている。

「顧問先に飲食店が2店ほどあるのですが、ここに集うお客さまが経営者の方ばかりで『今度遊びに来い』といった感じで新規の顧問先が広がっていきました」

どこも最初の会社のように喫緊の案件を抱えているわけではなかったが、ほとんどの会社で月次決算をしてないことに気付いた。正確には、会計事務所の担当者は社長に月次決算書を渡しているのだが、その説明をしていないケースがほとんどだった。

「読み方を手ほどきするだけでも『そんなことが分かるのか』と感心されたこともあります」

経営者との面談の切り口も確実に変わった。保険営業マンの時代に「損金・経費計上でお金を貯めたい」と相談されれば、保険商品を用いて何とかニーズに応えようとしたが、今は「小規模企業共済にご加入ですか?」と問いかける。

顧問先は飲食、ドクター、IT関連、宗教法人と多岐にわたるが、例えば開業医なら、政府が進める「地域包括ケアシステム」で課題となっている大病院と地域のドクターのコミュニケーションにおいて、まず地域を担当する窓口へ行ってもらうための同行から始める。保険を起点としたドクターマーケット開拓とは視点が違う。

生命保険は運用環境の厳しさから、貯蓄性商品のラインナップも縮減傾向にある。ソリューションの手段としても限られ、今後フィーの水準も変わっていくだろう。経営コンサルタントとして独立した村田さんの選択は、時代の流れを的確に捉えたといえるのではないか。

 

 

〈プロフィール〉むらた・さとし 1980年生まれ、石川県金沢市出身。経営コンサルタント。金沢市役所ものづくり産業支援課所管「起業・経営」相談員 学校法人金沢文化服装学院教員。

 

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